Tha Zakary Thaks
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後ろ左から Rex Gregory (bass)、Pete Stinson(r gt)、John Lopez(lead gt)
真中 Cris Gerniottis(vo)
前Stan Moore(dr)

ザカリーサックスは、テキサスのコーパス・クリスティ出身の地元では、かなり人気のあったガレージ・バンドだ。日本では、60年代中後期のテキサスのバンドは、みんな13thフロアー・エレベーターズみたいなサイケデリックなバンドばかりだったと書いてあることすらあるが、そんなことは、ないタフでエネルギッシュなバンドは、いくらでもあった、その代表として彼らをとりあげてみよう。(本当は単に好きなだけなんですけど。彼らを通して当時のローカルシーンの構造も見えてくるのでまあよろしく。蛇足ですが、エレベーターズ自体も最初は、結構普通のガレージバンドだった。)

ザカリー・サックスは、65年にMaraudersという名前で結成された。その後、Riptidesと名前を変えている。当初のサウンドは、ジャン&ディーンやビーチボーイズのようなサーフタイプだった。66年になってビートルズやキンクス、ローリング・ストーンズといったブリティッシュ・バンドの影響を受けてこれらのバンドの曲をカヴァーするようになった。そして3月にボーカルのクリスがある雑誌で目にとまった名前にヒントを得てつけた新しいバンド名がThe Zakary Thaksだ。名前に特に意味はない。彼らに転機がおとずれたのは、この年の5月。彼らのライブを見に来たカール・ベッカーの目にとまったのだ。
このころCarousel Clubでは、毎日曜ごとに、Battle Of The Band(アマチュアを主としたバンド合戦)が開かれていて、カールは、以前から友達のDJ、ジム・ウエストがマネージメントをしていてよく話題にしていたバンド、ザカリー・サックスを見に来たのだ。カールは、彼らが手作りのアンプと最低水準の楽器しかもっていないにもかかわらず、熱狂的な演奏をしているのに驚いたという。カール・ベッカーは、当時、地元のラジオ局のDJをやる傍ら、J-Beck Recordsというローカル・レーベルを友人と経営していた。ザカリー・サックスは、さっそくこのカール・ベッカーのJ-Beck Recordsと契約し、マネージメントもカール・ベッカーが担当することになった。この時メンバーの年齢は、16歳から17歳、ボーカルのクリスにいたっては、たったの15歳だった。

ザカリー・サックスの最初のシングルは、ボーカルのクリスが書いたオリジナル「バッド・ガール」とキンクスのカヴァー「アイ・ニード・ユー」のカップリングで、66年夏にリリースされた。この局は、カールの所属していたKEYSラジオでヘビーローテーションでかけられ、地元では、ビートルズやローリング・ストーンズを蹴散らしてチャートの2位まで上がった。
当時は、広いアメリカでは、地域差も大きく、ラジオでDJがその曲をとりあげるかどうか、また頻繁にかけるかどうかということにローカルチャートは、かなり影響を受けていた。だからこのように自分でレーベルをもち、マネージメントを手がけるDJも多かったのだ。ファンタスティック・ディー・ジェズも名前からわかるとおり、DJ テリー・リーがマネージメントしていた。
おなじように日本でもレーベルこそは、大手レコード会社だが、ラジオでDJが気に入った曲をかけてヒットさせたものも
多くあり、60年代から70年代前半ぐらいまでは、日本だけの洋楽シングルのヒットも結構あった。
とはいえ いくら頻繁にかけても音そのものに魅力がなければヒットにはならなかったことはいうまでもない。

カールは、単なるバンドのマネージメントだけでなくローカルなコンサートのブッキングもやっていて、メジャーなアーティストがコーパス・クリスティ周辺へやってきたときにOpening Act(前座)のブッキングも担当していた。このためザカリー・サックスもバーズ、ポール・リビアとレイダーズ、ジェファーソン・エアプレイン、アニマルズ、ヤードバーズといったバンドの前座をつとめている。これがちょっと前まで手作りのアンプと安物のギターで演奏していた17歳の少年たちだったというのも、当時のシーンではごく一般的なことだが、当時の日本で海外のバンドを見られる機会がいかに少なかったかを思うと彼我の差を感じてしまう。

またカールは、ライブのブッキングのために8mmでプロモフィルムを撮影していてこの映像からの音は、Collectoblesから発売しているThe Bad Seeds and The Zakary Thaks 「A Texas Battle Of The Band!」というCDで聴くことができる。
映像そのものは、正規には発売されていないが、西新宿方面などでNuggets だとか ガレージパンクなどと名付けられたビデオによく収録されている。
これは、観客も動員してライブの雰囲気がよく現れているが、実は、午前中に体育館かどこかで撮影したらしい。
ともあれこのような形でライブを撮影したバンド自体がほとんどないだけに貴重なものだ。

  
 

デビュー曲の「Bad Girl」は、McAleenの2トラック設備のスタジオで録音されている。当時のコーパス・クリスティには、録音スタジオがなくてJ-Beckのアーティストは、日曜日の朝早くMcAleenまでドライブしてそこでレコーディングすることになっていたのだ。サックスのメンバーは、2トラックのレコーディングなど経験がなかったので、どう使っていいかわからず、1つのトラックにボーカルとすべての楽器の演奏を入れて残りのトラックには、コーラスだけ録音している。だけどガレージ・パンク的には、これが結果として良い効果を出しているような気がする。クリスの15歳とは思えない力強いボーカルも良い出来。
このシングルは、ローカルヒットを受け67年にマーキュリーからもディストリビュートされたが、ナショナルチャートに顔を出すことは、なかった。

このころザカリー・サックスと同じJ-Beck所属で兄貴分にあたるThe Badseedsは、ジェフ・ベックの前座をつとめている。そこで彼らが出会ったのは、ジェフが持っていた、ギターの音をゆがませる不思議な機械だった。それは、彼らがはじめてみたFUZZ BOXだったのだ。彼らは、これに多いに興味をもったが、テキサスでは、入手することもかなわず、知り合いの電気屋にたのんでオリジナルのFUZZを作ってもらった。
 

この自作FUZZを使ったのがセカンドシングルの「Face To Face」だ。このシングルは、J-Beck レコードはじまって以来のヒットとなり、KEYSだけでなくテキサスのあちこちでチャートの一位に輝いている。
 

3枚めのシングル「Please B/W Won't Come Back」は、67年夏にリリースされた。Please は、元BAD SEEDSのMike Taylerが書いた曲で美しいハーモニーで、サックスのちがう1面を見せている。

ここでBad Seedsについても紹介しよう。65年にThe Four WindsというバンドにいたMike TaylerとHenry Edgeingtonが、解散したばかりのThe TitansのメンバーだったRod PrinceとBobby Donahoeに会い、新しいバンドを結成することになった。これがThe Bad Seedsだ。
ボーカルでギターのMikeが作ったファーストシングル「Taste Of The Shame」は、マイナーキーの哀愁のあるメロディーとマイクの適度に甘さの聴いた声が魅力な名曲だった。
だがマイクには、決定的に欠けているものがあった。それは、「容姿」だ。
私は、この人の顔をはじめて見たとき申し訳ないけどショックを受けました。(^^;)
こんなに凶悪な顔でアイドルめざしていいのか・・・・と  
 歌っているところを見るとそれほど凶悪でなく人のいい感じもするのですが、せっかくのムーディな曲もこの顔では、女の子が寄ってこないといっては、いいすぎでしょうか・・・・
ちなみにThe Bad Seedsのメンバーは、バンドをやる前は、全員ガールフレンドがいなかったのが、レコードを出してからみんな彼女ができたということなので、寄ってきた女の子もいるようです。

このThe Bad Seedsは、短期で解散。Mikeは、ファビュラス・マイケルなんておそれを知らない名前(この顔は、ファビュラスじゃないと思う・・・)でソロ活動、4枚のシングルをリリース。その中には、ザカリー・サックスがバックを担当したものもある。

ともあれ3枚めのシングルを出したころからマイクは、ザカリーサックスの音楽的助言者で、6人目のメンバー的存在でライブでもいっしょに活動することが多かったようだ。
まだまだ子供だったザカリーのメンバーは、ツアーに出るといたずらばかりやっていてそのお目付け役もマイクだったらしい。

この3枚目のシングルのあと カールは、共同経営者とのトラブルからJ-Beckレコードを離れている。
そして4枚目のシングル「Mirror Of yesterday/Can You Hear Your Daddy's Footsteps」が67年10月にリリースされた。(ただしB面は、67年春にカールのもとでレコーディングされた曲)。Mirror Of Yesterdayは、Sgt.Peppersの影響を受けたらしいホーンやストリングスを導入したエレガントな曲だ。このシングルは、両面ともマイクの作品だ。この時は、当時としては、まだめずらしかった8トラックの機材を使用している。しかし期待されたにもかかわらず、このシングルは、ヒットしなかった。そしてクリスは、新しいグループ、リバティ・ベルを作るため脱退している。

結局サックスは、John,Stan,Rexの3人だけになり 「Green Crystal Ties b/w My Door」をリリース。
そして69年3月、最後のシングル「Everybody Wants To Be Somebody b/w Outprint」では、再びクリスが戻っている。
 


 

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