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TAGES


Tommy Blom(vo.) Anders Topel(gtr.vo) DanneLarsson(gtr.org.piano)
Goran Lagerberg(bs.vo) Freddie Skantze(Dr.)

Tommy Tusis(Dr.vo) Lasse Svensson(Dr.)







TAGESは、60年代のスウェーデンを代表するバンドのひとつです。初期の彼らは、R&Bやビートナンバーを演奏するガレージぽい音を出していますが、中期以降の彼らは、より洗練した音楽性をもち、もはやガレージとして語るべき存在ではないのですが、なぜここでとりあげるかというと、彼らが大好きだという非常に個人的な理由からです。(というわけでかなり主観的)


1960年代のはじめ、スウェーデンでストックホルムに続く、第二の都市 イエテボリ(ヨーテボリGothenburg,Goteborg)の郊外の小さな町で、両親からギターを買ってもらったばかりのTommy Blomと同じくギターを弾き始めた同級生のAnders Topel,更にその友人でやはりギターを勉強中のDanne Larssonが集まっていっしょに練習をするようになった。更にそこへバンジョーを手にした、Goran(ヨラン) Lagerbergが加わって、Tages Skiffle Group と名乗り、ダンスパーティなどで演奏をするようになった。グループ名は、Danneのミドル・ネームのTageからとっている。そして63年の秋に、「アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティバル」という企画で、本場のブルーズメンたちが、ヨーロッパへやってきてGothenburgでも公演があった。少年たちは、このライブで、サニー・ボーイ・ウィリアムスン(II)やライトニン・ホプキンスの演奏を目にして、ブルーズに興味を持つようになった。そしてGoranが、エレキ・ベースを手に入れ、ギターをエレクトリック・ギターに持ち替え、ドラムにFreddie Skantze を加えて、ビート・バンドに編成を変え、Tagesと名乗るようになった。(ちなみに発音は、ほぼ「とーげす」だが、タとトの間ぐらいな感じ)そしてTommy は、ヴォーカルに専念することになった。ただし、リード・ヴォーカルをとるのは、必ずしも彼ばかりでなくGoran やDannがリードをとっている曲もかなりある。歌えるメンバーが、何人もいるので、美しく、力強いコーラスも彼らの魅力となっている。

イギリス的なサウンドと、黒人ルーツのアメリカ音楽への傾倒は、その後のTAGESの音楽性の二本の柱になっているようだが、ストレートに影響を受けるのでなく、そこに独自性をもちこんでいるところが彼らの魅力でもある。

そしてこの年の暮から、ビートバンドとして、人前で演奏するようになった。64年の夏は、Gotenburg 周辺で数多くのライブをこなしていたが、8月にGotenburg で、地元の新聞社によって「西海岸のビートルズコンテスト」というイベントが開催された。

 
ちょっとここでGotenburgについて紹介しよう。
ストックホルムがスウェーデンの東海岸にあるのに対し、Gotenburg は、西海岸の中心地で、スプートニクス、シェーカーズをはじめ たくさんのバンドを輩出している。ストックホルムとイエテボリ は、日本でいうと東京と大阪のような関係で、ちょっとちがう文化圏にあり、ストックホルムへのライバル心も強いよううだ。この街は、車のボルボの本拠地であり、港町でもある。そのため海外からの船の出入りも多く、リバプールや横浜と同じように、60年代は、アメリカやイギリスからの音楽情報がほかの土地よりも早く手に入れられる場所でもあった。またイエテボリは、60年代以降も数多くのミュージシャンを輩出した場所としても知られている。 90年代には、この地方出身のバンドだけ集めたCDもリリースされたこともある。(廃盤)

 

さてコンテストに応募した彼らは、見事優勝、新興のPlatina レーベルからレコード・デビューすることになった。急遽決まった、デビュー・シングル「Sleep Little Girl/Tell Me You're Mine」は、正規のスタジオでなく、彼らがよく行っていたユース・クラブのレスリングなどに使っていた部屋(Celler とあるので、本来倉庫のような場所)に、マイクと2台のテープレコーダーを設置した急ごしらえのスタジオで録音したデモがそのまんま使われている。(なおLPには、正規のスタジオで録音した別ヴァージョンを収録)「Sleep Little Girl」は、ヴォーカルのTommy,「Tell Me You're Mine」は、Goran の作曲で、当時は、まだカヴァー中心のバンドが多かった中、TAGESは、この後も、LPでは、カヴァー曲もあるが、オリジナルで良い曲をたくさん作っている。
この時の彼らは、Freddie が19才、残りのみんなは、まだ17才だった。
 

ちなみに彼らは、もっぱら英語で歌っているが、その英語の詞と発音について、アメリカ在住のスウェーデン人に感想を聞いたら、「悪くない。が、1stのSleep Little Girlでは、Gotenburgなまりがでている」とのことでした。

このシングルは、ラジオのチャート番組、Tio I Top で1位を取り、彼らは、一躍人気者になった。それまでこのチャートの上位は、いつもビートルズやスウェーデン以外の国のバンドだった。そこへ ついにあらわれた自分たちのスターが彼らだったのだ。(この番組のチャートは、あらかじめ選んである推薦曲から一般のリスナーが投票する形のもので、
レコード・セールスを反映したものとしては、別に、Kvallstoppen というチャートがあった、これでは、この曲は3位にランク・インしている)

当時の他のスカンディナビア諸国は、レコード会社も少なく、リリースされている自国アーティストも限られていた。そこで、彼らは、ほどなく、スウェーデンでなく、スカンジナビア各国でも人気者になった。('68年のデンマークでは、彼らの前座をロッド・スチュワートがヴォーカルのジェフ・ベックトリオがつとめている)

ルックスも粒ぞろいで、中でもボーカルのTommyとサイド・ギターのDanneは、女の子たちの読む雑誌の人気投票では、他のバンドを差し置いて、二人で、一位、二位を争そうほどのトップ・アイドルになった。このアイドル人気投票での彼らのライバルは、ヘプ・スターズのボーカル、Svenne Hedlund だった。当時人気のあったバンド、ベスト3は、TAGES、HEPSTERS(後にABBAを結成するベニーが所属)、SHANES だったが、この中で、後の二者が、どちらかというとワーキング・クラスだったのに、較べTAGESは、モッズだった。だが、他のモッズたち(14歳から16歳ぐらいを中心にしていた)は、UKのバンドばかり聴いてTAGESに限らず、スウェーデンのバンドには、目もくれなかったようだ。ちなみにマスコッツは、彼らよりもっとアカデミックな存在だった。多分彼らは、正規の音楽教育を受けていたからだろう。
 
 

当時のスウェーデンのモッズがどんな感じだったのか、あまり詳しくは、わからないが、一番人気があったのは、後のデビッド・ボウイ次がTHE WHOだったそうだ。左のCDは、「Swedish The Who Covers」。タイトル通りスウェーデンのバンドが、フーのカヴァーをやった曲ばかりを集めたものだが、これは、一般発売は、されず「The Who In Sweden」という写真集のおまけとして作られた。収録されているのは、La-La-La Lies/Lee Kings,The Kids Are Alright/Annabee-nox,So Sad About Us/Mascots,Pictures Of Lily/Lunatics など全9曲。(Tages が入っているわけではありません。念のため)

人気者になったTAGESのコンサートには、"嵐のように"女の子が殺到し、"ミニ・ビートルズ"のようだったという。だが、彼らは、かわいいだけのアイドルではなく、しっかりと演奏できるバンドだった。

二枚目のシングルは、「I Should Be Glad/ I Cry」だった。メロディアスなこの曲では、12弦ギターを使い、Dann と Goranがヴォーカルをとっている、ライブでは、Tommyもアコースティック・ギターを弾いている。この曲から、3枚続けてTio I Topの二位を勝ちとりトップアイドルの座を不動のものにしただけでなく、音楽評論家からも高い評価を得ている。
65年の春には、ローリング・ストーンズの前座を務め、秋に、LPをリリースした。またGoran と Freddie は、ストックホルムへやってきたチャック・ベリーと共演を果たしている。このときチャックは、彼らのことを非常にほめているが、これには、多少リップ・サービスも含まれているかもしれない。

初期の彼らは、メロディアスなフォーク・ロックと、ビート・ナンバーの二本だてで、オリジナルと共に、”I 'll Go Crazy”、”Houd Dog”、リッチー・ヴァレンスの”Donna”、などをカヴァー。”I Got Mojo Workin'”では、ジェフ・ベックを思わせるアレンジを披露するなど、ストレートなカヴァーでなく、ひとひねりした、アレンジが小気味よいサウンドを作っている。当時のバンド(特にアイドル系では)よくあることだが、ライブでは、ワイルドな曲を演奏しながらも シングルでは、もっとポップな曲をやらされていたので、LPのほうが彼らのワイルドな面がわかる。だが、彼らは、ソング・ライターとしても、才能に恵まれ、オリジナルのポップなヒットソングでもメロディーの美しさが光っている。この彼らの音楽を考える上で、欠かせないのは、”The One For You”以降、彼らのプロデュースを担当した、Anders”Henkan"Henriksson の存在だ。彼は、プロデュースだけでなく、しばしばレコーディングでは、ピアノを弾いている。Tages,特にGoran のソング・ライティングを含めた音楽的才能に注目し、成長させたのが、彼だ。彼は、The Shanes のプロデュースも担当していたが、両者を較べるとビート期には、互角だが、ビートからサイケ・ポップへという同じ流れをたどりつつも、後期の作品をくらべると、作曲能力の高さで、Tagesの曲のほうが、魅力的だ。彼は、また後にABBAのプロデュースも手がけている。

66年に、2nd アルバムをリリースした後、ドラマーのFreddie が脱退、Tommy Tausis がかわって加入したが、3rdLPをリリース直後に脱退(スプートニクスに参加のため)、今度は、Lasse Svensson が加入している。67年に彼らは、Platina からメジャーレーベルのParlophone に移籍。ここから以降のヒストリーは、ガレージパンクには、ほとんど関係ないので、興味のない人はメニューへ

<ストーリーはまだまだ続きます ので よろしく ↓>

 

Dann
Danne                                                Goran


Anders                                               Lasse


Tommy

Parlophone への移籍は、ビートルズを意識していたことは、まちがいないだろう。そしてこの時、Parlophone側は、若いバンド相手とは、思えない丁重な扱いで契約が行われたというエピソードがあるほど、Tagesは、将来を期待されていたのだ。彼らの中には、イギリスに本社があるメジャー・レーベルに所属することで、イギリス進出の足がかりを作ろうという気持ちもあったはずだ。
というのは、66年に、彼らはイギリスへツアーを試みたことがあったが、マネージメント側の不備から、正規のユニオンの許可をとっていなかったため、イギリスに行ったものの実際には、ライブは、できなかった。(Q65など 他のヨーロッパの有名バンドも同様の体験をしている、当時のイギリスは、外国人の音楽活動にたいする規制がきびしかったようだ)その一方で、北ヨーロッパ各国では、ツアーを行い、各国で大歓迎をうけている。この頃には、Tages は、スウェーデンを代表するバンドに成長していた。

彼らの本来目指していたものと、ポップ性がうまくミックスされたのが、移籍第一弾のシングル、ささやくようなTommyとワイルドなGoranの対比が効果的な「Every Raindorps Means A Lot」だ。Goran を音楽的リーダーにして、彼らの音楽性が、成長していく一方で、ファンの大多数であった、ローティーンの女の子たちは、あいかわらず口当たりの良い音楽を求めていた。しかし彼らの目線は、もはやもっと大きいところを目指していた、そのため チャート・ヒットからは少しずつ遠ざかってゆくことになる。
 

Parlophone での3枚目にあたる「She's Having A Baby/Sisters's Got A Boyfriend」は、イギリスでもリリースされるはずだったが、BBCがこの曲は、不謹慎だと難色を示しオンエアを拒否したこともあり、この企画は、流れてしまった。
<実は、TAGESには、これより前にイギリスで話題になった曲がある。プラチナ時代の「Crazy about my Baby」だ。
この曲は、ラジオ・ルクセンブルグでひんぱんにオンエアされた。このラジオ・ルクセンブルグは、当時もっともクールな曲がかかる放送局として若者たちの支持を得ていて、ヨーロッパ各国にリスナーがいた>
 

TAGES の 詞

デビュー曲「Sleep Little Girl」の詞は、実話だというが、これは、友達といっしょに、夜、好きな女の子のうちを訪ねていったら、もう眠っていたので、窓に小石を投げたけど、全然起きない。おこって大きな石をなげたら、窓でなく屋根にあたってしまったという 可愛らしい歌。初期のTagesの歌の多くが、たわいのないラブソングだが、そんな初々しい彼らも魅力。

I should be glad

I should be glad to meet you 
I should be glad to meet you 

I want to be by your side 
I wanna be with you 

I think of you 
And the things you do 

I love to hold your hand, oh 
I wanna be your man 

If you would see me by my own 
Come up to me if I stand here all alone 

I should be glad to meet you 
I should be glad to meet you 
Should be glad to meet you 
Should be glad to meet you 













問題になった「She's Having A Baby」は、10代の女の子が、もし望まない妊娠をしたらどうなるのかという問題提起の歌だった。(こういうテーマをもってくるところに、当時のスウェーデンの状況が反映されているかも)
「Miss.Mac Baren」は、彼らがデンマークにツアーに行っているときに、レコード会社から「次のシングルのスリーヴを印刷したいので、先にタイトルを決めてほしい」と電話があった。実は、曲はまだ出来ていなかったのだが、こういわれて街を歩いてタイトルを考えているときに目についたのが、Mac Barenというメーカーのタバコの広告で、これをいただいてタイトルにしたそうだ。

後期のTAGESの詞は、物語的なものや、抽象的なものが増え、複雑で、時には、わかりにくいものもある。(これは、サイケデリックの影響もあるようだ)

It's in a dream 

Think of what it would be like if all the people were green 
Black and white, yellow and red, would never fight 
It's in a dream, yeah, it's in a dream, yeah, it's in a dream, yeah 

Think of what it would be like if Robin Hood was alive 
The people wouldn't steal, the people wouldn't starve, I wish it was real 
It's in a dream, yeah, it's in a dream, yeah, it's in a dream, yeah 

Wish I could take a look at it, happened all of the time 
Wish I could take a look at it, happened all of the time 
It's in a dream, it's in a dream, oh, what a scene 

Think of what it would be like if all the weapons were toys 
Think of what it would be like if all the soldiers were boys 
It's in a dream, yeah, it's in a dream, yeah, it's in a dream, yeah 




 

この頃からバンド自身は、よりアーティスト性を高め、ビデオクリップのような凝った映像を作っている。(これは、サイケデリックやニューシネマの影響を受けた当時のトレンドでもあった。レコードでは、オーケストラやストリングスを導入したのも一因)たとえば、「She's Having A Baby」では、公園のスタジアムのようなところの観客席に、数人の少年、少女がすわっている。小さなスタジアムの真中には、ドラムセットとアンプが置いてある。そこへTAGESのメンバーがあらわれるのだが、にこりともしない彼らは、いきなりドラムの皮を破り、ギターの弦をかき鳴らしたとたんアンプに穴があき煙が出る....そして演奏がはじまるのだが、その途中で彼らは、ドラムスティックを折り、アンプをのこぎりで切り、すべてをたたきこわして あぜんとする観客を残し立ち去ってゆく といった具合だ。
 
 

そして「Treat Her Like A Lady」では、当時スウェーデンに在住していた、ビートルズ映像でもおなじみのPeter Goldmanがプロモ・フィルムを作っている。

スウェーデンにもサイケデリックの波は、押し寄せてきていた。ビートシングルを何枚か残して消えていったバンドもたくさんあったが、TAGESは、ほかのいくつかの有名バンドと同じくサイケデリック・ポップに手を染めるようになる。
そしてアルバム「Contrast」をリリース。ここでは、まだいろんなタイプの曲が混在しているが、彼らは、それまでも彼らの作品をてがけてきたプロデュサーのAnders Henriksson と共に、セルフ・プロデュースをはじめている。
サイケデリック・ミュージックでは、インド音楽やラーガサウンドで、エキゾティックさを演出することが、あったが、TAGESが、試みたのは、スウェーデンのトラディッショナルと自分たちのサウンドを融合させることだった。「Contrast
」では、”Sister's Got A Boyfriend”のようなファンキーな曲もカヴァーしていて、出来としては、けっして悪くないが、トラッドをベースにしたオリジナルのほうが、はるかに出来がよく独自の世界を作り出している。
 Tages では、Goran も Tomy も曲によって かなり歌い方を変えていることにも注目。これが、彼らの音楽性を幅広いものにしている。

67年11月には、作品としてもっとも評価が高く、完成度の高い「Studio」をリリース。ここでは、前作に続き、スウェーデンのトラッドの旋律とヴァイオリンに加え、アコーディオンやフルート、そしてスウェデーンの民族的な楽器が、音に深みを与えている。まだちょっとアイドルっぽい甘さを残したコーラスは、後のクイーンを思い起こさせるような華麗さも持ち合わせ、ヴォーカルは、時にやさしく時に力強い....シンフォニック・ロックの重厚さと、ポップで美しいメロディーがうまく溶け合っている。スウェーデンでは、70年代以降、国が伝統的なものを保護する政策をうちだしたことも手伝い、トラディッショナルをベースにしたロックバンドがいろいろあらわれるが、彼らは、その何歩も先を行っていたのだ。また”She´s A Man” や ” Seeing With Love”のようなサイケデリック・ポップの傑作も収録されている。

この作品は、「サージェント・ペパーズ」以降に作られた数多くのアルバムの中でもベストの1枚といってもよいだろう。ロック・クリティック達に非常に評価が高かった一方で、このアルバムは、それまでのファンには,難しすぎたのか、期待したほどは歓迎されず、売上では、前作の「Contrast」に及ばなかった。

とはいえ、このアルバムをモチーフに、Peter Goldmanが、Dalamania というTV番組で、Tages 主演の幻想的な映像を作っていることからも彼らの人気が破格のものだったのがわかる。(このプログラムは、30分間がまるごと、Tages のビデオ・クリップといってさしつかえない)
 
 

TAGES は、まぎれもなくスウェーデンでトップの人気を誇るバンドだったが、売上げからみるとシングルが、
                                   Tio I Topp Kvallstoppen
1964 Sleep Little Girl              1           3
1965 I Should Be Glad               2           2
1965 Don't Turn Your Back           2           4
1965 The One For You                2           6
1965 Bloodhound                     6           3
1966 So Many Girls                  4           5
1966 I'll Be Doggone                7          10
1966 In My Dreams                   1           1
1966 Crazy 'Bout My Baby            -          16
1966 Miss Mac Baren                 4           1
1967 Every Raindrop Means a Lot     2           4
1967 I'm Going Out                  2           3
1967 Treat Her Like a Lady          3           7
1968 There's A Blind Man Playing Fiddle In the Street 10     -
というように、コンスタントに売れていたのに較べて、LPは、あまり売れなかったらしい。これは、当時のスウェーデンの市場がまだシングル盤中心だったこととも関係している。
「Studio」リリース直後の68年1月発売のシングル、「There's A Blind Man Playing Fiddle In the Street」は、Tio I Topp  では、10位になっているものの売上では、チャート外、これ以降のシングルが、チャート・インしなかったことからも“人気と売上”という側面からは、作品の出来とは無関係に失速していったことがわかる。
またディスコグラフィの上では、パーロフォン移籍後もプラチナから何枚もシングルがリリースされているが、これらは、プラチナ時代に録音したLP『Extra Extra』からのシングルカットなので、これらからもLPを買わずにシングルというファンが多かったことがわかる。

一方イギリスで、アビーロードスタジオ録音の「Halcion Days」を リリース。マーキーにも出演し、地方へのツアーも行った。彼らの音楽性は、十分イギリスでも通用するレベルにあったと思う。だが、これがヒットにむすびつかなかったのは、プロモーションがあまりうまくなかったことと、当時のイギリスで、「ルックスのよいスウェーデンのバンド」に求められていたのは、高度な音楽性でなく、バブルガム・ポップでしかなかったのだ。実際、彼らの音楽性は、Whoのロジャー・ダルトリー(モッズだったTAGESにとって これは、重要なことだったはずだ!)や、ゾンビーズのメンバーたちも評価して、個人的に交流を深めたりもしていたのだが・・・シングル・ヒットが出なかったことから、イギリスでアルバムがリリースされなかったことを思うと本当に惜しまれる。

  この曲の録音でイギリス人のプロデューサーは、TommyでなくGoran がヴォーカルを取ることを指定した。実は、当時の彼らのライブでは、「Studio」 の収録曲でGoran や Danneがリード・ボーカルをとった曲をTommyが歌っているという変則的な事態がおこっていた。もともと、友達同士で、はじめたバンドが、成長してゆく過程で、バンドの力関係のバランスが非常に悪いものになってしまったのだ。前述のDalamaniaの中でも、本当は、Goranが歌っている歌をTommyが歌うシーンで、リップシンクしていた歌のテープが止まってしまうという皮肉な演出がされていて、ファンとしては、胸が痛んだ。一番美少年でアイドル人気のあったTommyのバンドにおける位置には、かなり早い段階から問題があったようだ。数少ない残された映像を見ても、彼がリードボーカルをとらない曲では、コーラスをとることもなく(Goranの歌にコーラスをつけるのは、もっぱらDanne)、うしろのほうで、リードタンバリン、マラカス等に徹しているがバンドの中で浮いている感じが否めない。実際には、ちゃんと弾けていないギターを持っている映像すらある。当時のファンにこのような姿は、どう映っていたのだろうか。 このような不安定な状況が続いた結果、Tommyは、グループを脱退。残りのメンバーは、他のヴォーカルを入れることも考えたらしいが、結局4人で続けることになり、スウェーデンでも”Halcion Days”をリリースしたが、あまり話題にならなかった。そして4人になったTagesは、Blond と改名し、心機一転、Fontana と 契約。69年に” I Wake Up And Call” で デビュー。しかしDanneが、69年7月30日 Anders は8月19日に、相次いでバンドを脱退してしまった。その後 新メンバーを加えたBlond は、唯一のアルバム「Lillac Years」をリリース。このアルバムは、基本的には、後期のTagesの延長線上にあり、ファンキーなR&B オリジナルから スウェデッシュ・トラッドをベースにした曲まで聴くことができるので、後期のTagesファンには、みのがせない。(このアルバムは、スウェーデン盤では、Danneと Anders の写った写真使われているが、アメリカ盤では、新メンバーの顔のイラストに変えられている)
なかでもタイトル曲”Lilac years”は、貧しさのためアメリカへ移民してゆく人々を歌ったトラッド、”De Salde Sina Hemnan(彼らは、自分の家を売った)”を下敷きにした 物悲しくドラマチックな歌。すべてを捨ててアメリカへ行くという歌詞は、このアルバムがアメリカでリリースされ、イギリスで成功できなかった彼らが、運命をかけた1枚だったことを思うと感慨深い。(考えすぎかなあ・・・・)
しかしこの時のアメリカのレコード会社が彼らにつけたキャッチフレーズは、「フリーセックスの国から来たバンド」というようなものだった。これから推測すると、彼らの音楽性よりも話題だけで売ろうとしていたということだろうか。

 これは、アメリカ盤のジャケット

だが、これも好セールスには、めぐまれず、再びメンバーを変えたもののBlondは、解散している。この最後のメンバーだったBijorn Topel は、アンダースの弟で、Tages の後期に、曲を書いたり、ライブでサポートメンバーとしても活動していた。
Tages 脱退後のTommy は、ソロ・シングルを3枚リリースした。その後,メンバーで、今に至るまでプロとして音楽活動を続けているのは、ベースで、音楽的リーダーだったGoran だけだ。その彼が70年代に参加した、Kebnekaiseの アルバムも、またスウェデリッシュ・トラッドをベースにしている。ただし、こちらは、ヴァイオリンやアコースティックな楽器にリズム・セクションを加えた編成で、ほとんどが、インストルメンタル。なおGoranが参加している2ndと3rdからセレクションした曲に、未発表を加えたCDが、現在発売されている。(CDのジャケットは、下の2ndの絵をそのまま使っている)Goran は、この後もセッションを含め数多くのアルバムに参加するなどその活動は、多岐にわたっている。
 
 

   
Kebnekaise の2nd と 3rd 裏面のGoran の写真
 
 


おまけ:さてこの写真は、CDBOX 3枚目のジャケットからのものだが、Danneをはじめ みんながいやにみすぼらしい(でもおしゃれ)な格好をしているのに気づいただろうか?
実は、このファッションは、”I'm Going Out" のプロモ映像で、大道芸人の格好をしたときのものらしい。右端のTommy は、お金を入れてもらうボールを手にしている。

その後のTages は、70年代、80年代にも何回か一時的に、再結成されたようだ。そして98年からは、再び 年に何度かオリジナルメンバーで、集まってライブをやっている。末期には、メンバー同士の軋轢もいろいろあったようだが、アマチュア時代からの友達だからこそこうやってまた集まれるのだろう。再結成映像でのTommyは、落ち着いててバンドの中に溶け込んでいて60年代の映像で見たような不安的さを感じさせない。演奏内容は、当時のヒット曲中心だが、サイケよりもアメリカンロック的な感じが強く骨太でファンキーな感じもあり、60年代も実際のライブでは、レコードよりもワイルドだったのかもしれない。

彼らがTAGESという名前に別れを告げたのは、68年。活動時期は、たった4年、主なメンバーは、まだ21才だった。なんと密度の濃い4年間だったのだろう。
そして彼らが残した音楽は、30年後に遠く離れた東の国で、こんな駄文を書く人間があらわれるほど、今も色あせず、魅力的なのだ。

Discography(写真もあるよ!)

TAGES スクラップブック