REMAINS

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リメンインズが、エピックに残した唯一のスタジオ録音アルバムが、SUNDAZEDよりLPオンリーでリイシューされた。

   リメインズは、ボストン大学の学生だったBarry Tashian を 中心に64年秋に活動をはじめた。きっかけとなったのは、この前にBarryがヨーロッパへ旅行してブリティッシュ・ビートの洗礼を受けたことにある。彼は、小学生のときからギターをはじめ、ハイスクール時代は、ブルーズやカントリーを聴いていたようだ。そして大学1年のときにVern MillerとChip Damiani と3人でバンドをはじめる。しかしまだこれは、ロックンロールバンドでそれほど夢中になったわけではないらしい。
その夏休みに行ったヨーロッパ旅行の帰りロンドンでストーンズやキンクスのライブを見て圧倒され、新しいバンドを作ることにして友人だったBill Briggsをキーボードとして参加してREMAINSと名乗った。そしてBarry と いっしょにヨーロッパへ行った友人、Bert Yellenが、彼らのマネージャーになった。
  彼らは、精力的にギグを行ない地元ボストンでは、瞬く間に人気バンドとなった。この頃のレバートリーは、ゾンビーズの「You Make Me Feel Good」や「She's not There」そして「Louie Louie」や「Johnny B Goods」などのカバーだった。そしてEpicレコードと契約することになり、65年春「Why Do I CRY・My Babe」で デビューした。この曲は、ローカルヒットしたが(ボストンで3位)、全国的ヒットにはならなかった。そこでエピックは、彼らをナッシュビルへ送りそこで録音した「But I Ain't Got You・I Can't Get Away From You」が2nd シングルとなる。
彼らは、ボストンのみならずニューイングランド全体で人気を博し、エド・サリヴァンショーにも出演した。
その後、ビートルズの最後のU.S.ツアーのサポートバンドを勤めることになった。しかしドラムスのChipは、これに参加することを望まず脱退した。彼が脱退する前にREMAINSは、キャピトルでスタジオデモを録音したが、結果的にキャピトルと契約することは、できなかった。彼にかわりN・D・Smart II をドラマーとしてビートルズのツアーに参加した彼らは、
「サニー」のボビー・ヘブとロネッツのバッキングも勤めたが、このロネッツには、ロニーは、参加せず 代わりを彼女のいとこElaineがつとめた。REMAINSは、いつもどおりFENDERのアンプを使うつもりだったが、ステージには、VOXがセッティングされていて、それを使わされることになった。しかし その一方でビートルズ側は、きちんとしたモニターも用意していなかったのでREMAINSが自分たちのサウンド マンを呼び寄せて、彼らの古いモニターをコンサート全体で使用することになった。
N.D.スマートは、当時まだ10代だったもののかなりのバンド経験を積んでいた。REMAINSは、地元では、かなりの人気バンドだったものの、何万人もの観客の前で演奏するのは、はじめての体験であるし、長いツアーの間には、ビートルズのメンバーとも交流ができてなかなかエキサイティングなものだったらしい。しかしこのハードスケジュールは、ドラムが交代したばかりでツアー経験もないバンドには、過酷なものでもあった。
66年暮れには、活動を停止しその後、67年にエピックがシングル曲を含むアルバムをリリースした。
現在 このアルバムを聴いても 十分魅力的なのだが、当時の彼らのライブに比べるとその魅力の半分も出せなかったようだ。しかし幸運なことに当時は、発表されなかったデモトラックがSUNDAZEDより正規盤として発売されているので、彼らのライブの片鱗をうかがうことができる。
REMAINSの音の魅力は、Crawdaddy誌でJon LandauがHard Rock と 評した黒人音楽の影響を受けたToughな音と東海岸のバンド特有の洗練された音との融合にある。
その後、バリーは、黎明期のFlying Burrito Brothersを経て、エミルー・ハリスのバッキングなどで、活動。N.D.スマートは、バリーと共にグラム・パースンズのバンドに参加したり、マウンテンの黎明期のドラマーをつとめ、エイモス・ギャレットのグレイト・スペックルド・バードにも参加している。
 

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