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Qに質問
Frank Nuyens(gtr.vocal.sax.fruit) Wim Bieler(vocal,harp)
Peeter Vink(bass) Joop Roelofs(gtr.) Jay Baar(drums)

Q65は、アウトサイダーズと並ぶオランダ’60s ビートを代表するバンドだった。(もっともアウトサイダーズのヴォーカル、ウォーリー
タックスは、「自分たちの方がずっと格が上だった」と言っている。そもそもアウトサイダーズのようにアムステルダム出身のバンドとハーグ出身のバンドは、気質もちがいあまり仲良くなかったらしい。これは土地柄の違いというのも影響しているようだ)
この頃の人気バンドとしては、他にJAYJAYS、後に日本でもヒットを出すショッキングブルーの前身にあたるモーションズ、ゴールデンイアリングス(後にゴールデンイアリングとして長く活躍)などがいた。
Q65は、オランダのリヴァプールとたとえられることもあったハーグで結成された。実際ハーグは、
50年代末から音楽活動がさかんで、シャドウズに影響を受けたインストグループがたくさんあったようだ。またここには、かっての植民地であったインドネシア系のミュージシャンも多く、独特のエキゾティックなサウンドを持ったロックンロールインストバンドが60年代に活躍した。60年代初期には、これらのバンドのライブが毎週末開かれていた。これらインドネシア系バンドの活躍に刺激を受けて白人の若者たちも自分のバンドを作るようになった。当時ハーグの音楽シーンで重要な役割をしていたのは、Verhaas
Music Shopという店で、ここでどんな楽器を買えばよいかアドバイスすると共に、いっしょに音楽をやる仲間を見つける出あいの場でもあったからだ。
Q65のサウンドのもつ不思議な音色も、この影響を受けているようだ。彼らのCry
In The Night の旋律や唸りのようなコーラスは、非常に東洋的である。
この港町特有の国際性に富んだ音楽状況というのは、同時代の日本でもゴールデンカップスに代表される横浜や神戸で見受けられた。
彼らは、65年2月にブルーズバンドとして結成された。名前に特別な意味はないとされるが、ローリング・ストーンズの二つの曲「スージーQ」と「ルート66」を念頭においていたとのことだ。 当初は、ウィリーディクソンやロバート・ジョンソンなどブルーズやR&Bのカバーをやっていてその後、これらやダッチジャワサウンドに影響を受けたオリジナルを作るようになった。
65年5月に初のライブを行ない、そのダーティなR&Bの演奏に、またたくまに「オランダのプリティシングス」と称されるようになった。(プリティシングスは、本国以上にオランダで人気があった)65年秋にプロデューサーのPeter Koelewijn
が、彼らの元をおとずれデッカスタジオでオーディションを受けることになった。
そして66年にシングル「You're the Victor」をリリース、確かにこの曲には、プレイティシングスにも通じるR&Bパンクでアグリーなサウンドを確立している。これは、最高11位、トップ40を13週間記録するヒットとなり彼らは、有名バンドとなった。

日記のように語られる、愛犬が事故死して墓に埋めたり、愛する女性が金持ちと結婚したりという一見異様な感じの詞だが、これは、単なる想像でなく、本当に当時の彼らの生活そのものなのだ。すなわちこの歌詞で語られていることは、事実らしい。
このシングルのプロモーションのためレコード会社が企画したのが、Sdheveningenの港からロンドンへ向かって小さなゴムボートで行くという奇抜なものだった。まず彼らは、海賊放送局ラジオシティでインタビューを受けた。そしてロンドンでは、クラブでライブをやるという計画だったが、実際には、労働許可証をとるのを忘れていたため演奏することはできず記者会見とフォトセッションを行なっただけだったが、この椿事は、イギリスの新聞でも紹介された。また彼らは、帰りもボートで帰ったことになっているが、実のところ天候が悪くなったので、随行船Zilvdr'mee(銀のカモメ号)に乗船し上陸地が近づいてから再びゴムボートに乗ったのである。アルバムで使われているゴムボートに乗った彼らの写真を見るとQ65のロゴの入ったライフベストを着ていることがわかる。
この冒険?は、地元では大変な話題になり海岸には、3万人のファンが押しかけて彼らを待つという大騒ぎになった。そしてそのまんま埠頭でコンサートを行ない
これがテレビやラジオで話題となって彼らは、更に有名になった。このようなあざとい演出は、60年代らしいといえよう。この結果
決してヒットねらいのポップチューンでないのにもかかわらずThe Life
I Liveは、トップ10ヒットとなった。
これは、私の大好きな曲の一つだが、自分達の生活を元にした事実だという不可思議な屈折した詞と陰影のあるメロディーそしてWim
Bielerのくせのある歌が、独特の冥い世界を繰り広げている。
彼らは、また黒人ブルーズナンバーをたくさんカバーしているが、いくら練習しても訛りがとれなかったというWillem
Bielerの歌は、特異な雰囲気を持っている。実際彼の個性的な歌い方と訛りのせいで、当時のファンは、何を歌っているか正確には聞き取れなかったようだが、その事自体が、またQ65の個性であり魅力と受け止められていた。
そしてその魅力は、カバーよりオリジナルに顕著である。彼らの歌を聴いていると一年中霧がたちこめているという北方の港町ハーグの風土の持つ独特の雰囲気(晴れやかな青空よりも低く垂れ込めた雲に覆われた)まで伝わってくるようだ。
Mr.Pitifulのような管楽器の入ったファンキーな曲は、彼らには、似合わない。同じブルーズ、R&Bでも初期から演奏していたらしいRamblin’
On My Mind のようなヘビーな曲の方がよい出来である。
66年夏には、LPの制作をはじめ「The Life I Live」を含む意欲的LP「REVOLUTION」(このタイトルが、レヴォルーショナルなものを作ったという彼らの自負を表明している、実際この当時は、まだ「Bring
It On Home」のように1曲で14分ちかい演奏というのは、レコードではほとんどなかった)を発表し、この発売記念のライブでは、アイム
ア マンやロングヴァージョンのスプーンフルなども演奏していこのアルバムも35000枚を売るヒット作となった。
当時のオランダの人気バンドの中でモーションズやゴールデンイアリングスが行儀のよい存在であったのに比べ彼らは、自らもそしてそのファンもUGLYで反抗的であった。
ある時コンサートへ行く途中、車が故障し到着が遅れたところ、待ちきれなくなったファンが騒動を起こし、怪我人が出る始末となった。これは、彼ら自身に原因があったわけではないのだが、日ごろから彼らの不良ぽい態度に反感を持っていた人もいたらしく結果的にバンドの評判を落とす一因となった。
その後も独特の冥い世界を展開するオリジナル、「I Despise You」「World of Birds」などのシングルを出す一方で彼らは、ドラッグへ傾斜していった。 KJOE BLUES EP(Qのブルーズ)の中に収録されたオリジナルのインスト「80%O」は、濃度80%のハシシ もしくは、それにより頂点をきわめた 事を意味している。このドラッグの使用は、彼らの繰り広げる異世界を広げたが、また同時にテンションを失わせてバンドの命脈が尽きる結果となった。「World of Birds」や「So high I've been、So down I must fall」は、あきらかに薬剤の影響を受けたダブルミーニングな内容となっているが、トップ40にランクインした「World of Birds」は、彼らの最後のきらめきをその妖しい世界にとどめている。
現在 入手可能なものとしては、68年に編集されたLP,「REVIVAL」に7曲のボーナストラックを収録したオランダ盤CDがある。これでは、メンバーのPeter
Vink のコメントも付いている。かつてコンプリートが出ていたが、現在廃盤。この他最近ベスト盤CDも発売された。
2001年現在、アナログで「Revolution」と「Rivival」が復刻されている。
1.どうやって結成されたか?
Wim: 俺は、Joop にMarathon で 最初に会った。その時 奴は、新しいバンドを作る計画があって、すでにFrank
のことを知っていたが、歌い手の心あたりがなかった。その時 Marathonで音楽に合わせて踊っている俺を見てあんなふうにスウィングして踊れればきっとうまく歌えると思ったそうだ。
最初は、何をやるかはっきり決まっていなかった。Blues Unlimited からPeterとJayが参加して
やっとまとまった。俺達は、R.StonesやPretty Thingsのようにブルーズばかりやっていた。
*Q65と何かと比較されることが多いのが、アウトサイダーズですが、一番のちがいは、Qがもともとブルーズのコピーからスタートしているのに比べアウトサイダーズは、最初からすべてオリジナルしか演奏しなかったこと。そういう意味では、アウトサイダーズのボーカルであると共にソングライターだったWally Taxにそれだけ才能があったということになるかもしれません。アウトサイダーズにおけるエキゾティックな音は、彼の両親が、ロシア系だったことでロシア民謡を聞いて育ったことが、影響しているようです。またその一方で港町育ちのWallyは、父親が持っていた黒人のBluesをはじめ、かなり幼い頃からいろんな音楽を聴いていたらしい。
2.なぜQ65というなじみのない名前をつけたのか?
Wim:それは、Joopのアイデアで最初は、Q66だった。だが66は、スペイン語で発音しにくいので65に変えた。俺は、それは、俺達がバンドをはじめた年を意味していると思うが、Joopは、ずっと66では、スペイン語で発音しにくいからだと言っていた。(注:私たちは、日本人なので
つい彼らのことを 「Qろくじゅうご」と呼んでいますが、オランダでは、英語読みだったみたいです)
3.最初のシングルYou're The Victor に ついて
Wim:俺達は、ローラースケートアリーナやMarathonでもよく演奏していたが、本拠地は、Leywegの
De Eekhoon だった。ある日Peter Koelewijin(プロデユーサー、ソングライターでオランダのポップ史の中では有名な人)がやって来た。すでにモーションズ(後のショッキング
ブルーのリーダーがいた)やゴールデンイアリングス(後にゴールデンイアリングとなり長く活動)が、人気がでてきて、レコード会社フォノグラムの要請で俺達の演奏を見に来たんだ。そして俺達は、Hilversumでオーディションを受けることになった。そして”You're
The Vidtor”と”And Your Kind”をレコーディングした。俺達は、そのサウンドを出来る限りToughなものにしたかった。2ヶ月後にそれは、ヒットしていきなりTop40に入った。俺達は、ひっぱりだこになった。
4.The Life I Live で更に成功したのか?
Wim:フォノグラムのCees Wessels が、このシングルのプロモートすることになった。彼は、俺達をゴムボートでイギリスまで連れて行くということを思いついた。俺達は、そんなことは、誰もやったことがなく気違いじみていると思った。「Full
Speed to Top」というキャッチフレーズで、プレスやラジオで宣伝された。
イギリスの海岸に着く前に税関で、労働許可証を持っているかと聞かれ、俺達は、持っていなかったので結局演奏は、できなかった。税関は、クラブの中で写真を撮る許可だけは、くれた。次の日またゴムボートに乗ってテームズ川の海賊放送局へ行った。彼らは、一番英語が、マシだったJayにインタビューし”The
Life I Live”をかけてくれた。
何時間もゴムボートに乗っていて、みんな船酔いになり、危険になったので大きなボートへ移ることになった。オランダへ帰ってくるとものすごくたくさんのファンが、俺達を待っていた。それで俺達は、ゴムボートに戻り
旅を終えた。
5.Rovolution に ついて
Wim:66年にプロデユーサーのHans van Hermertは、LPで何をやっていいと言ったので、いろんなことを試してみたんだ。”Sour
Wine”は、FrankのアイデアでJayがハーモニカを吹いた。奴は、2音しか吹くことが出来なかったが、これが、ふしぎな効果を出した。ある曲では、俺が
部屋の壁をひっかいた。ライナーノートにはこの音を、「Wimが、サンドペーパーをプレイした」と書いてあった。
”Sour Wine"では、もうひとつ、Jay は、ペダルとキーを同時に押すことが、できなかったので、Peterが、ペダルを押すのを手伝ったんだ。これは、見ていてとってもこっけいだったので、何度もテイクを取り直す羽目になった。
* HOODSのフライング ダッチ キーボーダー Ron
の協力に感謝します。
| おまけ
97年にオランダで放送された音楽懐古番組のQ65登場の回を見ました。 ドラムのJay Barrは、数年前に他界しているので残りの4人が、かつて彼らが、練習をした場所や、初期にライブをやった場所、そしてあのゴムボートで渡った海岸など想い出の場所を訪ねるというものでした。 Peter・Vinkだけは、単独インタビューで残りの3人は、スタジオでアコースティックセッションで当時の曲も演奏しました。 Wimの歌は、今も説得力を失っていなかった!彼の、長髪をオールバックにしていて白髪化した姿は、どこかの道場主のようでした。 Peterは、もはや演奏は、できないようですが、(目があらぬ方向を見ていて、あっちの世界の人になっている)何でも彼自身の話では、もともといつ他のベーシストと代わっても不思議のない存在でバンドの中では、添え物的存在だったのだとか。 これは、オランダ国内の放送で、言葉がまったくわからなかったのが残念です。
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ペブルスのLP CONTINENT LASHES BACK!がある。
Pebbles Vol.15 The Netherlands
Vol.18 Europian Garage Rock Part2
Vol.23 Holland Part.2
Vol.25 Holland Part.3