LosMockers
Enlgish

 
 

Polo Pereira (v,g)
Jorge Fernandez(g,v)
Esteban Hirschfield(k,p,harmonica)
Julio Montero(b)
Beto Freigeda(dr)







  南米のローリング・ストーンズとも呼ばれるロス・モッカーズは、63年ごろ、ウルグアイの首都、モンテビデオの高校で結成されたスキッフル・バンドに端を発している。最初のメンバーは、Jorge(ギター)Esteban(ピアノ)、Alberto(ドラム)、Julio(ベース)の4人。このころは、テディボーイズという名前で、プレスリーやリトル・リチャードのかヴァーそして"ラバンバ"などのラテンナンバーをやっていた。ギターは、手作りのものしかなく、ドラムもセットと呼べないほどのもので、サウンドクオリティが高いとはいえなかった。だが、このころ、すでにTBのイニシャルの入ったユニフォームも持っていた。
65年に、ビートルズを聞いてからすべては、変わった。今までのレパートリーを捨てて、ツイスト&シャウトを演奏するようになったのだ。そしてバンド名もLos Encandenadosという名前に変えた。これは、鎖でつながれた人という意味だが、実際彼らは、ギターのストラップを鎖で代用していた。まだまだ楽器もちゃんとそろっていなかったが、ライブ演奏で少しずつお金をかせぎ、月賦でやっとVOXのギターを手に入れることができた。そして小さなハモンドオルガンも手に入れたが、これは、モノフォニックの上、音程の狂う代物だった。でも彼らには、熱い魂があった。

この年の秋には、モンテビデオにも、ビートエクスプロージョンの波がやってきた。彼らもいろんなクラブに出演し、そして毎週日曜に行われるTVショウに出演することになった。そこで彼らが出会ったのが、17歳のPoloだった。当時の彼は、ソロ・シンガーで、ラテンナンバーやロックンロールを歌っていた。Enchndendos のメンバーは、Poloに自分たちのバンドのボーカルになってほしいと頼んだ。そして彼が参加することになり、黄金のラインアップが完成した。
 このころ彼らが夢中になっていたのは、ビートルズでなくローリング・ストーンズだった。ストーンズのR&Bの影響を受けたワイルドな音に魅せられていたのだ。そして彼らがずっと探し求めていたスペイン語でなく、英語でワイルドに歌えるボーカリスト、それがまさにPoloだったのだ。
当時の彼らが目指していたのは、いかにローリング・ストーンズそっくりに歌い演奏できるかということ。おもしろいことにPoloは、普段の写真でみるとそうでもないのに、歌っているところを見ると、口元のあたりが、ミック・ジャガーそっくりだ。(意図的に真似したのだろうか。当時のウルグアイでレコードでなく映像でストーンズを見ることができたのかどうかは不明なのだが)上の写真(一番右)に注目。
 この時期に彼らは、"Time is on my side" や "I  Just Wanna Make Love To You"のデモ録音を残している。当時のウルグアイには、レコーディングスタジオもあまりなく彼らが、レコードをリリースする機会はなかったが、バンド・コンテストで入賞し、記念のため作られたアセテート(非売品)が残っている。(これらの初期音源は、スペインのココドリロレーベルから再発された)
 66年にも彼らは、"The Last Time"や"Play With Fire"などストーンズ・ナンバーを得意にしていた。幸運なことにこの年の夏、アルゼンチンからやってきたEMIレーベルのスカウトマンに注目され、彼らは、アルゼンチンのEMIと契約することになった。そして彼らは、アルゼンチンに行き、新しくLos Mockersという名前で活動することになった。(ウルグアイは、小さな国で、マーケットとしては、非常に小さかった。一方川を一つ越えればアルゼンチンだったのだ)
彼らに先だって同じくウルグアイ出身のロス・シェイカーズ(南米のビートルズと呼ばれることになる)が、EMIと契約していて良いライバルとなった。だが、お互いに仲が悪かったのではなく、それぞれのレコーディングに参加したこともある。

そして66年に、オリジナルの"I Wanna Go/My Baby"で、デビューした。これに続きアルバムLos Mockersをリリース。アルバム収録の12曲すべてが、自作の曲でストーンズの影響が大きいワイルドな曲ばかりだ。アルバム自体は、それほど売れなかったが、彼らは、アルゼンチンでは、ポピュラーな存在になり、"It Was Me"は、ウルグアイでNo,1になった。
 67年に彼らは、ウルグアイに戻った。しかし彼らの栄光は、長く続かなかった。キーボードのEsterban は、Los Delfinesに参加するため脱退。残りのメンバーは、アルゼンチンへ戻りCBSからシングルを1枚だした。そして69年には、マイナーレーベルのMicrofonから2ndアルバムをリリースしているが、すでにシーンは、変わっていて、かつてのようなタフなサウンドでは、なくなっている。(ポップ・サイケとしては、なかなかの水準に達する出来)
一方Polo は、68年にアルゼンチンのLos Walkers に参加し、Walking Up Con Los Walkersというアルバムをリリースしている。このロス・ウォーカーズも初期は、ブリティッシュ・ビートのバンドだったが、このアルバムではポップ的な音に変化している。あの熱気は、もはやどこかへ消えていたのだ。

80年代になってガレージ・ビート再認識の中で、ロス・モッカーズは、スペインのココドリロ、スウェーデンのガレージランドから再発アルバムがリリースされ、その後アメリカのゲット・ヒップからLP・CDがリリースされているので、今では、南米の'60sバンドの中でガレージ・ファンがもっともよく知っているバンドになっている。しかし、現地、ウルグアイ、アルゼンチンでは、まったく再発されていないこともあり、またガレージパンク的な認識もないので、全く忘れさられているらしい。





もっと詳しいことが知りたい人は、 キーボードのEsteban のインタビューライナーノーツの英訳 を参照してください。

余談ですが、このEsteban は、現在スペインに住んでいるのですが、何年か前にアメリカの若手のバンド、Mockers がスペインへツアーに行ったら あるクラブで「自分も昔 Mockers というバンドにいました」と Estebanがあらわれ、驚喜したメンバーは、いっしょにセッションしたそうです。

2nd
 
 
 

日本語のメニュー

掲示板