
そしてLPに収録した「シェィキン オール オーバー」が、話題となりこれを2枚めのシングルとして発売した。この曲は、最高11位までのぼるヒットとなり、ヒットするには、ドイツ語でないといけないというそれまでの常識を覆えすものとなった。このアルバムには、「メンフィステネシー」「ミッドナイトスペシャル」ドイツ語の「タバコロード」などが、収録されタフなビートナンバーが満載された良い出来である。おもしろいのは、英語で歌っても
ドイツ風発音(例えば MinceをMynceと発音してい)のため、はっきりと歯切れがよくそれが、ドイツのバンドの特徴でもある独特のビートの強さとよくマッチしていることである。これも彼らの魅力の一つだ。
初期の彼らのレバートリーは、英米のビートナンバーと共に、傾倒していたスキッフルのロニードネガンの曲が多い。
ビートルズの映画「A Hard Day's Night」(ドイツでは、「ヤーヤーヤー」という題)のプロモーションがきっかけでプロ入りした彼らは、当初、ドイツのビートルズとして売り出された。初期の姿は、マッシュルームカットにスーツといういでたちである。その後
彼らは、フローラインカットつまり女の子の髪型になり(前髪の短いおかっぱ頭)衣装も派手なものが多くなる。骨張ったごつい顔にもかかわらずミリタリールック、中世風フリルのたくさんあるブラウスを着た姿は、GSといい勝負である。
ローズは、イギリスでは、ミュージシャンユニオンの許可を取ることができなかったため 演奏したことがないが、その他のヨーロッパ各国を何度もツアーしている。そのオランダへの演奏旅行でであった曲が、イギリス出身でオランダで活動していたバンド、スコーピオンズの「グリーンスリーブス」だった。これは、もちろんイギリスのトラッドだが、スコーピオンズは、これをビートにアレンジして演奏していて その間奏の歌メロそのままのギターソロは、とてもGSに近く日本人の私には、親しみがもてるものだ。この曲とアレンジが気に入ったローズは、ほとんど同じアレンジでこの曲をシングルカットしている。またこの曲は、イタリアで別アレンジのイタリア語ヴァージョンでシングルとして発売された。
67年には、ユーゴスラビアで行われたSplit Festival of Light Music というイヴェントにドイツ代表として参加し シングルをリリースしているが、これは、オーケストラの入った曲である。
ビートバンドとしての彼らの魅力は、最初の2枚のアルバムとその後のいくつかのシングルにあり後期は、ストリングスやオーケストラの入った曲もふえ本来の魅力から遠ざかってしまった。実際 60年代末には、バンドは、新しい曲、革新的なことをやりたいのに観客は、かってのビートナンバーばかりを聞きたがるという状態に陥ってしまったようだ。その後の活動については、ここでは、割愛したい。
公式には、発売されていないが、彼らのライブとしては、Gleensleeves、Don't Mince Matterなどの映像も残っている。