THE LIVERPOOL FIVE

Liverpool Five in Olympic stadium in TOKYO '64

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リヴァプールファイブは、60年代のイギリスのバンドで、アメリカで活動したのだが 現在では、ほとんど省みられていない。しかし 彼らがいなかったら日本のGSブームは、もっとちがったものになっていたかもしれない。

バンドは、当初 Steve Laine Comboという名でイギリスでスタート。64年にドイツへ行きBlues Sounds という名でハンブルグやスイス、オーストリアなどのクラブへ出演した。その後、彼らは、東京オリンピックに関連したイベントにおけるイギリスのバンドとして来日。(これがどういうものか当時の記事を発見できないのですが多分以下に出演した事を指すのだと思われる)

64年9月(すなわち東京オリンピックの前月)「世界サーフィンパレード」(後楽園アイスパレス)に出演。この時の共演は、ブルージーンズ、ほりまさゆき、尾藤イサオ、ジャニーズ他とまだ日本には、ボーカル入りビートバンドという形態が存在していない事がわかる。彼らは、この時は「リバプールビートルズ」というとんでもない名前でビートルズの先輩格だったという触れ込みで出演している。この後数週間ACB(ジャズ喫茶=今でいうとライブハウス、クラブ)に出演。

彼らはドイツのCBSで 年に5LIVERPOOLSという名前でレコーディングしている。この中に「TOKIO」というシングルがあり、内容はイギリスのバンドが東京へ行ったという自らを思わせる歌詞でドイツ語で歌われつつも あやしいドラの音が入り、日本語で「サヨナラ サヨナラ」と歌っている。これは、いかにも 外人が、勘違いした 日本 という 感じのアレンジだが、B面の「スキニーミニー」は、しっかりした演奏で けっして 彼らが キワモノではなくちゃんとしたバンドだったのが わかる。 また65年には、この2曲を含むLPをリリースしている。このアルバムの曲の多くは、ビートナンバーの定番「ブームブーム」「メンフィス テネシー」「ポイズン アイヴィー」などで、好感のもてる手堅い演奏をしている。

リヴァプールファイブは、日本中をツアーしたわけではないのでベンチャーズのような全国的影響は、なかったが、その演奏は、当時バンドをやっていた(また志していた青少年)に、強い影響を与えたようで これを期に、インストからボーカル入りへ転身していった日本のバンドがGS第一世代の一翼を担っている。

生で見た本場のビートバンド、そしてはじめて見た本物のVOXのアンプに日本のバンドは、びっくりしたらしいが、実はリバプールファイブの方も日本ではじめてPAシステムを見て驚いたと語っており、発展途上の時代ならではの状況が伺える。

彼らの演奏に影響を受けたと語る一人、水谷公生の所属したアウトキャストの「エブリシングオール ライト(海外ガレージマニアからも高く評価されている)」は、モージョズでなくリヴァプール ファイブのヴァージョンの延長線上にある事があきらかだ。

この後彼らは、渡米、イギリスのバンドを求めていた、米RCAと契約。ちなみにメンバーのほとんどは、ロンドン出身である。これらの経歴やあやしげなバンドのネーミングから見ると、キワモノのような印象を受けるのだが決してそんなことはない。

RCAは、当初 積極的にプロモーションしたようだが 残念ながらヒットにめぐまれず66年と67年にアルバムを出した後、レコードを出すことなく70年ごろまで活動していたらしい。セカンドアルバムでは、1stアルバムの時の写真の残りを流用、まともなプロモーションもしてもらえない状況だったようだ。また後期のベーシストFreddi Dennisは、その後kingsmenに参加している。

残念なのは、彼らのアルバムやシングルが、どこの国でもきちんと復刻されていない事だ。彼らに限らず、アメリカではメジャーレーベルから出していたバンド(=メジャーというほどには売れずに終わったバンド)のレコードはあまり復刻されておらず、マイナーレーベルのほとんど知られずに終わったバンドの良い曲が(デモや未発表まで)次々と復刻されている一方で課題となっている。

ディスコグラフィー

彼らについては、詳しい事がわかりません。情報をお持ちの方(特に日本滞在時の情報、当時の記事等)は、ご一報ください。

またこのページに協力下さった方々にお礼を申し上げます。

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