

日本ROCK秘話・GS編
高円寺が誇るカルトスポット“喫茶グリーンアップル”にて、4月からトーク・ライヴ・イベント“日本ROCK秘話・GS編”がスタート!記念すべき第一回目のゲストには、1967年夏、「好きさ好きさ好きさ」の大ヒットを放ち日本中を熱狂させた“ザ・カーナビーツ”の喜多村次郎さんをお迎えします。
「好きさ好きさ好きさ」「恋をしようよジェニー」「オーケイ!」など、数あるヒット曲にまつわるエピソードから、人気グループのメンバーだからこそ語れるGSブームの裏話、そしてカーナビーツ脱退後に結成した幻のニューロック・バンド“ザ・ライフ”の知られざる実態まで、余すところなく語って頂きます。グループサウンズ/60年代音楽のファンはもちろん、昭和40年代に興味のある方もお聞き逃しなく!
4月3日(土)19:30start
前売予約¥1,800- 当日¥2,000-(ともに1ドリンク付き)
ゲスト:喜多村次郎(ザ・カーナビーツ)
MC:大森眸 町井ハジメ
喫茶・軽食 グリーンアップル
TEL:03-5305-8086 東京都杉並区高円寺南4-9-6第三矢島ビル2F
高円寺駅南口より徒歩3分
ご予約は、グリーンアップルにお電話(営業時間 17:00〜25:00)か、メール(info@greenapple.gr.jp)
カーナビーツの2代目ヴォーカリスト、ポール岡田さんの著書「HAIR1969-輝きの瞬間」が発売されました。
モッチンのプロとしての第一歩 カーナビーツについて
モッチンは、東京の大田区出身なのですが、中学生のころから音楽的に先端にあった横浜の音楽シーンに曳かれて、横浜通いをはじめ14-5才の時には、もう横浜のレッド・シューズという店でドラムをたたいていました。そしてここでの演奏が注目されてプロのエレキ・バンド、フリーランサーズにスカウトされました。このとき同じく彼をスカウトしようとしていたのが、なんとジャガーズの前身にあたる宮ユキオとプレイファイブでした。宮さんが、ドラマーなのでこれは、歌手としてのスカウトだったのかもしれません。結局ここでモッチンは、フリー・ランサーズへ加入することになるのですが、もしここでプレイファイブに加入していたら私たちの知っているジャガーズもカーナビーツも誕生しなかったかもしれません。
ジャガーズが、旧来のバンドマンの流れを汲む大人のメンバーがいたのに比べ(年齢をごまかしてデビューした人もいる)、カーナビーツは、みんな若かったのですが、なかでもモッチンは、わずか16歳。デビューシングルは、いわずとしれた「好きさ
好きさ 好きさ」、この曲は、サビの”おまえのすべてー”の部分でモッチンがドラムスティックを前に突き出すアクションと共に大ヒット。今でもカーナビーツのオリジナルと信じて疑わない人がいるほどですが、これは、もともとイギリスのゾンビーズのシングルB面で
あまり有名な曲ではありません。実際 聞き比べてみるとオリジナルは割りに地味な曲なのに比べカーナビーツの方が、狂おしくて魅力的なできあがりです。とはいえ御本家ゾンビーズの方もカーナビーツのヒットのおかげで日本でのみシングルA面として再発されました。これに関しては、ZONBIEMANIAというイギリスで出ているゾンビーズ資料に「Don't
forget that the Carnabeats'"I Love You"was a major hit in Japan,and the
song has remained so popular there taht it has become a standard」とちゃんと記されています。
バンドの中でいろいろ新しい曲を探してきたり音楽的に重要な役割をしていたのは、ギターの喜多村次郎だったようです。モッチンは、当時の彼のことを「例えばカ−ル・パ−キンスとかその他のいろんなロックンロ−ルやR&Bを僕に教えてくれたキ−ス・リチャ−ドみたいな人。僕はキ−ス・ム−ンのほうだけど。」と語っています。モッチンは、フーも大好きで彼のファナティックなドラムから日本のキース・ムーンと呼ばれていたことがあります。
このホームページの名前Cutie Morning Moon についてカーナビーツファンだったら
もうおわかりでしょうが、彼らとウォーカーブラザースのゲイリー・ウォーカーがいっしょに作ったシングルのタイトル(邦題は、「恋の朝焼け」)から借用しました。ちなみに歌っているのは、ゲイリーだけですが、このシングルの作詞、プロデユースは、スコット・ウォーカーが手がけました。題名のいわれは、夜からのレコーディングが朝までかかり
その朝の朝焼けがとってもきれいだったからだとか。ちなみに今では想像つきませんが、当時の日本では、ウォーカーブラザースは、ビートルズに続くぐらい大人気でした。
(解散後も日本でだけライブをやっているほど)
カーナビーツの場合、シングルでは自作の曲が1曲しかなくあまり曲が、作れないないバンドだというイメージもあったようですが、実際には、いい曲をいくつも書いています。LP収録の「すてきなサンディ」は名曲!
これは、海外のGSブートにも入っているのですが、彼らの持ち味を生かしたとっても楽しいファズポップナンバー。この
ブートを聴いたアメリカのバンド ウェルウォーター・コンスピラシーは、これとスパイダースの「なればいい」をカヴァーしたシングルまでリリースしています。(現在はこれらを収録したCDがエイベックスから発売中)
当時のカーナビーツの姿は、映画でいくつか残っていますが、残念ながら今のところビデオ化されていません。
69年春に、臼井が脱退、代わりにポール岡田が加入したもののシングルを1枚だした後
秋に解散してしまいました。
GSというと懐メロ番組でとりあげられるイメージの方が一般的になってしまうのかもしれませんが、モッチンが当時も今もとってもロックしてたことは、確かです。そういう彼をこれからも応援したいと思っています。
モッチンといえばどうしても「好きさ 好きさ 好きさ」のイメージで語られることが多いですが、これは、彼の大切な一部だけどすべてではありません。ぜひ
ちがうモッチンも見て下さい。 最近のライブでは、この曲も あっと驚く ヘビメタアレンジで演奏したりしています!
モッチンファンは、カーナビーツだけでなくゴールデンカップスやクリエーションもチェックしましょう!
クリエーションのCDには、最近 モッチンがライブで歌っている曲もあるので注目。

関西でのアマチュアバンド時代から、東京へ出て、キャンディーズ、カーナビーツ時代の秘話、
そしてあのミュージカルHAIRのキャストとなっての思いでを綴った本です。
不幸な終わり方をしたこともあり、その後きちんと検証されることのなかったミュージカルHAIRについての資料としても大変貴重だと思います。
詳しくは GS&POPS
しかしフリーランサーズには、ドラムでなく、ボーカリストとしてスカウトされ、自分のやりたかったこととはちがっていたこともあり数ヶ月で脱退してしまったようです。
そしてバンドをやめてぶらぶらしている時にジャズ喫茶で知り合ったのが、元スウィングウエストの喜多村次郎でした。そしてすぐに息投合、これをきっかけに後のカーナビーツになるメンバーが集まることになりました。結成されすぐにフィリップスのオーディションを受けることになり、そのときに歌ったのが、モッチンが横浜時代からお得意にしていたナンバー、ゾンビーズの「I
Love You」でした。これは、「お好きな時に」というシングルのB面であまり一般的には、知られていなかったのですが、当時の横浜では、人気があり、“この曲を知らないとイモ”だといわれるほどだったようです。
カーナビーツは、見事オーディションに合格、プロデューサーの本城和冶氏(彼は、フィリップスのGSの多くを手がけ、GSに関するフィリップスレーベルのグレードの高さは、彼と原盤管理していたシンコーミュージックに負うところも多い)は、ヒットさせるためには、ぜひ日本語の歌詞をつけたいと和製ポップスの訳詞で定評のあった漣健児氏に依頼。漣氏は、もともとシンコーミュージック二代目でミュージック・ライフの創設者でもあり、当時は、本業のパブリッシャーとして活躍中であまり訳詞は、手がけていなかったのですが、本城氏のたっての願いに引き受けたようです。かっては、自宅でオリジナル曲を聞きながらペンを走らせたという漣氏ですが、この曲に関しては、スタジオでバンドの演奏を聞きながら詞をあてはめていったようです。そしてできたデビュー曲がいうまでもなく「好きさ好きさ好きさ」というわけです。67年6月にリリースされたこの曲は、シンプルながらインパクトのある歌詞とモッチンの熱狂的な歌、そしておなじめの決めポーズ「おまえのすべてぇ」のところで、ドラムスティックを突き出す、というのが受けて見事ヒット。
さてこのバンドは、最初は、モッチンが考えたというロビンフッドという名前でバンドの車にもロビンフッドのマークをつけていたのですが、デビューにあたり当時のミュージックライフ編集長、星加ルミ子女史によりロンドンのカーナビーストリートから名前をとったカーナビーツと改名したのです。そして同時デビューのジャガーズと共に“カーナビー・ビート・サウンド”というキャッチフレーズをつけていっしょに売り出されました。イメージとしては、カーナビーツがゾンビーズ、ジャガーズがデイブ・ディー・グループという感じでした。ジャガーズとデイブ・ディー・グループの場合は、当時の定石だった同じレコード会社で相乗効果で売上をあげるという目的もあったのに比べ、ゾンビーズは、レーベルも別で純粋にカーナビーツ(特にモッチン)にとってのアイドルだったのです。
なお元のバンド名は、そのまんまカーナビーツの事務所の名前に活かされロビン企画となっています。蛇足ですが、デイブ・ディーグループは、本来Dave
Dee, Dozy, Beaky, Mick and Tich という長い名前のグループ(要するにメンバーの名前をつなげただけですが)で、日本では、言いづらいのでこのように呼ばれていました。一方イギリスでも正式には、Dave
Dee, Dozy, Beaky, Mick and Tichでしたが、略してDave Dee'sとも呼ばれることもありました。
さて次のシングルは、モッチンがリードの「恋をしようよジェニー」裏が、ポンタこと臼井啓吉の「お前に夢中さ」でモッチンのキュートな声と臼井のワイルドな声をそれぞれ生かした出来となっています。この「お前に夢中さ」は、長いこと誰がオリジナルかわからないままでした。これは、カナダのノヴァスコシア出身のバンド、グレイトスコッツの”Give
Me Lovin' ”という曲で当時アメリカでもリリースされていたが、ヒットには、至らなかった隠れ名曲。長いこと再発されず幻となっていましたが、米SUNDAZEDよりLPで復刻されました。
カーナビーツは、すごくテクニックのあるバンドというわけではなかったけどバンドとしてのバランスやビート感は、なかなかのものがあります。モッチンがかってカーナビーツのことを「パンクだった」といってましたが、本当に同時代のガレージパンクと通じる魅力があってタイムマシンがあれば生で見てみたいところです。
「愛を探して」以降のシングルには、丸の中にカーナビーツのロゴとロングヘアーで顔がユニオンジャックになっているイラストマークがついていますが、この絵は当時のバスドラムに描かれていたものです。
彼らも曲をカバーしたディブ・ディー・グループのシングルにも同様の丸の中にロゴとユニオンジャックの入ったマークがあるのですが、こっちはドラムに描かれていたものかどうか不明。
カーナビーツのCD情報は、
Loving
Ai'sへ
現在CDで出ているのは、
ゴールデンカップス:フィフス ジェネレーション
クリエーション:ロンリーハート+1