THE HISTORY OF Pebbles 


(この文章は、「うわさのガレージパンクチャンネル」のために書き下ろしたものに一部加筆したものです。)
 

 ペブルスは、BOMPのグレッグ・ショウのレーベル、AIPからリリースされている。彼のこれまでの活動からペブルスの歴史、そしてどうやって“ガレージ・パンク”が認識されてきたかを検証してみよう。グレッグは、1949年サンフランシスコで生まれで、子供の時からロックン・ロールが好きで、エルビスやリトル・リチャード、そして黒人のファッツ・ドミノのシングル盤を集めていた。彼は、フラワー・パワーの真っ只中に、ハイスクールをドロップアウトしてヘイト・アシュベリーに住みつく。彼は、SFファンでペーパーバックをかなり早い時期から集めていた。そして知り合った年長のSFファンたちがSFのファンジンを作っているのに影響を受け、19668月に<Mojo Navigator R&R News>の発行をはじめた。これは“Rolling Stone”が、創刊される1年以上前のことで、同じくSFファンだったポール・ウィリアムズが“クロウダディズ”にも先行するもので、現在では、アメリカで、最初のロックのファンジンと評価されている。フォーマットは、タイプ打ちのごく簡単なニュースペーパー形式だったが、サンフランシスコの各アーティストの動向やコンサート情報などを載せ、ビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーのインタビューをするなど、内容は充実していた。この頃のグレッグは、ごく普通にベイエリアの音楽シーンの中にいて、その中で見聴きしたバンドは、ジェファーソン・エアプレインやグレイトフル・デッドから今でいうガレージ・バンドまであった。

70年に彼は、新しいファンジン<Who Put The Bomp>(後にBompに改称 このタイトルは、バリー・マンの曲からとっているが、この曲が、ナンセンスでノイジーなロックンロールを象徴していると思ったからだそうだ)を創刊。

そして1972年には、United Artistで働くことになりL.A.へ移住する。この傍らクリーム誌などいろんなロック誌で執筆活動を続けていた。その彼が、“60sパンク”という新たな概念に出会ったのが、同年にエレクトラからリリースされたレニイ・ケイの<ナゲッツ>だった。それまで単なる古臭いポップスだと思われていた音楽の中に思いがけない熱情がこめられイノセントな衝撃が飛び出して来たのだ。だが、この<ナゲッツ>は、一部で話題を呼んだものの、セールス的には、パッとせず、すぐに廃盤になっている。グレッグ・ショウは、この頃からMid Sixtiesのシングルを集めだしている。そしてこのようなパンク・バンドがアメリカのいたるところにいたことにも気づく(当時は、それぞれの地元でその地域のバンドしか知られていなかったのだ)。レニー・ケイ自身は、それほど明確なコンセプトがあったわけではなく、ありきたりのオールディズのコンピレーションとは一味ちがうものを作りたかっただけのようなのだが、(実際その後の彼は、特にガレージバンドをリサーチしていた形跡はない)彼が撒いた種は、最初は地味だったものの、自身が想像した以上の芽を出すことになる。ちなみにこの時点でこれらの曲を指す言葉は、“Punk Rock”だった。しかしこの名前は、70年代後半のパンク・ムーブメントの中でまぎらわしいので、“60’s Punk”“Proto Punk”と区別するようになった。この時点でグレッグは、いわゆる パンクと区別するため60年代の音楽を“Garage Punk”、“Garage Rock”という呼び方を考えたらしい。

商業的には、成功しなかったエレクトラ盤の<ナゲッツ>だが、思わぬところで反響があった。それは、フランスだった。Rock Folk誌で、イヴ・エイドリアンがこの<ナゲッツ>を絶賛し、そのコラムを読んで<ナゲッツ>を買って感銘を受けたMarc Zermatiがナゲッツに収録されていたような60年代のアメリカのバンドのシングルを集めるようになり、当時彼がパリでやっていたレコードショップThe Open Marketで売るようになったのだ。そしてここを基点に、’60ガレージ・パンクが、パリでカルト的人気を呼ぶようになる。彼は、72年にフレイミン・グルーヴィーズを呼び寄せてフランスでツアーを行い、彼らのデモ録音をオフィシャルブートの形で自分のレーベルSKY DOGでリリースしている。このSKY DOGは、この他MC5やストゥージズのレコードをリリースするなど、単なる自主制作でなく、“パンクオリエンテッドなインディーズ・レーベル”という明確なコンセプトを持った世界初のレーベルだった。彼は、またヴェルヴェット・アンダーグラウンドの前身のルー・リードがいたガレージバンドや、サブ・レーベルのダイナモからは、アウトキャスツを出すなど‘60sパンクの再発もリリースしている。Zermatiは、後に「73年には、<ナゲッツ>の中のThe Shadows Of Knightのようなバンドに非常に影響を受けて、自らを“PUNK”と呼ぶようになった」と語っている。

このフランスでの動きは、その後イギリスに飛び火し、アンドリュー・オールダムやテッド・キャロルへ影響を与え、パンク・ムーブメントが興るひとつの要素になっているが、それは‘60sパンクの再評価も70年代のパンクの台頭も共に、60年代末以降のロックが内省化し、アートになってゆく過程で、ロックン・ロールが本来持っていた初期衝動が失われていったことへのアンチ・テーゼだったからなのだ。

74年にグレッグは、フレイミン・グルーヴィーズのシリル・ジョーダンから、彼らが、アメリカのレコード会社から出せずにいた録音を聴いてその内容の良さに驚く。グレッグは、いろんなレコード会社へ、フレイミンのレコードを出す交渉をするが、全部断わられ、最終的に自分で彼らのシングルをリリースすることを決意した。この自分のレーベルを持つというアイデアは、フレイミンを通じて知り合った、Zermatiに刺激を受けてのことだった。当時は、アメリカでもインディーズレーベルはほとんどなく、流通の手段もなかったが、グレッグは、<Who Put The Bomp>の定期購読をしている読者にだったら売れるかもしれないと考えたのだ。また彼がアートワークを担当していたPRMマガジンの発行元のFM放送局でこのシングルをヘビー・ローテーションで、放送することができた。インディーレーベルだったらアメリカには、60年代からガレージ・バンドのシングルが無数の無名のレーベルで出ていたはずだと思うかもしれない。だが、これは、どれも地域限定のローカルなもので、特定のコンセプトを持っていたわけではない。ガレージ・バンドのシングルの中で、ナショナル・チャートへ入ったもののほとんどは、地元でのヒットがきっかけでメジャー・レーベルで配給されたり再発売されたものだった。そしてこれらのレーベルも70年代には、ほとんど活動を停止していた。

こうして店頭では発売されなかったBOMPレーベル最初のシングルは、無事売りきることができたのだ。一方73年からサイアーレーベルでも働きはじめた彼は(この時期のグレッグの多方面にわたる仕事には驚かされる)ブリティッシュ・ロックシリーズ、プリティシングスの初期のビート時代を中心にしたベスト盤の編集などにかかわっている。またフレイミンとSireが契約したのも彼のバックアップあってのことで、Sireに所属してからもグレッグ自身がマネージメントや広報を担当している。この一方で、<Who Put The Bomp>で、ブリティッシュ・インベイジョンの特集を組むなど連動した形でリスナーを啓蒙していった。そして彼は、廃盤になっていた<ナゲッツ>をSeymour Steinと共にSireで再発している。これは、エレクトラで出た最初のものよりも売れたようで、グレッグは、レニー・ケイと共に続編を作る計画も立てている。しかしこれは、それぞれのシングルの版権をとることが困難で、マスターテープがないものも多かったため実現しなかった。(写真は、グレッグが編集を担当したSIRE時代のファン・クラブの会報)

そこで、グレッグが考えたのは、自分で<ナゲッツ>の続きを出すことだった。ブート・レッグにしてしまえば、版権問題にこだわらず、好きな曲を入れることも可能だ。こうして1979年初頭、ペブルスの最初の1枚がリリースされた。これは、当時のブート・アルバムには、よくあった白無地のジャケットに、ピンク色の解説を書いたインサートがついているだけのものだった。(ただし、このインサートを白ジャケに貼りつけて販売されているものもある。)レーベルは、Mastercharge,発行場所は、OhioDacron(そんな場所はありません。あるのはAcron。 MasterchargeのロゴもMaster Cardのパロディ)。このインサートの最初に、“Pebbles is a new series of collectors’ albums,inspired by the brilliant NUGGETS album,dedicated to bringing you the best of obscure ‘60s punk and esoteric rock”と標されている。実際、選曲の多くは、幻の「ナゲッツ2」に収録するつもりのものだったらしい。このアルバムは、グレッグ自身のコレクションからの盤起しで、コンディションの良いレコードを入手できなかったものもあり、Litterの“Action Woman”は、針飛びするものがそのまま収められていた。(なお今に至るまでLP盤は、このまま、CDでは、針飛びなしの音が使われている)このファースト・プレスは500枚プレスされ、あっという間に売りきれたようだ。そして今度は、オーストラリア、クッカブラ!にあるBFDレコード名義(これも冗談)で、796月から80年の間にVol.1の再発を含む最初の10枚がリリースされた。この時期のライナーでは、筆者としていろんな名前がクレジットされているが、実際には、すべてグレッグ・ショウが書いている。このBFDレーベルのリリースもあくまでブート・レッグで、当時のBOMPレーベルの公式インフォメーションを見てもこれらは全く紹介されていない。(それどころか、当時の雑誌で、グレッグ自身が、ぺブルスを作ったのは、断じて自分でない!と主張している記事すら存在する。
それほどに、権利関係の不確かなものをリリースすることに、リスクを感じていたのだ。しかしそれでもこうやってぺブルスを出し、それがたいして問題になることもなかったからこそ、後続のいろんなガレージ・コンピレーション(そのほとんどが版権が不確か)がリリースできたともいえる)

80年ごろのBOMPのプレスキット。どこにもぺブルスのことは、書かれていない。
 
 
 
 
 
 

BOMPでは、レコードの通販もやっていて、こっちでは、ペブルスや当時オランダでしか再発されていなかったプリティシングスの初期のレコードなどを売っていて、当時のファンにとって、ガレージ・パンクを知る情報源となっていた。なおその後、権利がクリアできるものは、版権をとっている。ただし、ガレージ・コンピレーション全般にも言えることだが、地方のマイナー・レーベルからリリースされたものなど、権利関係の所在があきらかでないものは、そのまま収録されているようだ。

一方雑誌の<BOMP>は、ガレージ・パンク専門誌だったわけではなく、‘70sパンクやメインストリームのロックをとりあげ発行部数をのばし、もはやファンジンというよりも商業誌的な性格の強いものになっていた。それを維持するには、よりメジャーな展開が求められていたが、グレッグは、そのようなものにするつもりはなかったためBOMP誌は、この年に廃刊となった。

Vol.11からは、現在のAIPレーベルでリリースされるようになり、姉妹編というべき「Highs In The Mid Sixties」シリーズもスタートしている。これは、地域別にまとめたペブルスといった感じなので、ペブルスのファンは、ぜひこっちも聴いてほしい。ペブルスVol.14までは、UK編のVol.6以外は、アメリカのバンドばかりだったが、Vol.15のオランダ編を皮きりに、これ以降Vol.28までは、数枚を除いてヨーロッパ編。こちらは、グレッグ以外が編集、ライナーを担当しているものもある。グレッグは、70年代から雑誌の<BOMP>で、ヨーロッパのビート・バンドを各国別に紹介していた。またブリティッシュ・インベイジョン特集を出すなど、ガレージ・パンクと呼ばれるようになった音楽、現象が単に案リカ国内だけでなく、世界の各国に同様に起きたことをあきらかにしてきたが、当時は、なかなかまとまって聴くことのできなかったそれら各国の音がこのヨーロッパ編で簡単に聴けるようになったのだ。
が、このぺブルス・シリーズには、イタリアやスペインを特集したヴォリュームは、ない。これは、ラテン系の音が好きでないとかそういうことではなく、単に当時、良いリソースを持っていなかっただけだということだ。
 

LPでのリリースは、28枚で終了、その後、CDでリリースされるのだが、その間に、もうひとつESDレーベルでリリースされた4枚のCDがある。これは、当時まだ自分のところでは、CDを出せる体制になかった事とやはり版権の関係で、ブートとしてリリースされたものだが、これもグレッグ自身が編集し、ライナーを書いている。ただし現在は、廃盤。そしてAIPからのCDのペブルスシリーズがはじまる。これは、当初LPからの再編集に思われたのだが、その後、地域別にして、Highsからの曲を入れたり、新しい曲も追加され編集方針は、いささか混沌としている。現在、Vol.12までリリースされているが、今後は、欠番のVol.11を出した時点で、ペブルスシリーズは、終わりになる予定だ。

「ナゲッツ」がリリースされたあと、これを追う形でリリースされたガレージ・パンクのコンピレーションは、モキシーをはじめ他にもいくつかあった。だが、これだけのヴォリュームをリリースし、かつ今でも入手可能なのは、ペブルスだけだ。まだインディー・レーベルの流通体制もなく、続けてゆくことは非常に困難だったのだ。その中で、ペブルスだけが生き残っているのは、他のレーベルが、音楽好きのファンが自分の趣味の延長ではじめたアマチュアビジネスだったのにひきかえ、グレッグ・ショウは、レコード会社、出版社で働き、プロとしての音楽ビジネスのノウハウを持っていたからに他ならない。その経験を生かしつつ、メジャー・レーベルではできない草の根の活動をやったのが、BOMPAIP,VOXXといった彼のレーベルなのだ。また60年代の再発だけでなく、新しいバンドのレコードの制作から、マネージメント全般までかかわってきた事にも注目したい。その中には、80年代のガレージ・リバイバルバンド、DMZ,クロウダディーズやテル・テイル・ハーツ、初期のランナウェイズなどがいる。BOMPでは、これらのバンドが出演するThe Cavern Clubというライブ・ハウスも運営していた。また当時、そのエキセントリックさからアメリカのメジャー・レーベルでは相手にされなくなってすべて廃盤状態だったイギー・ポップに手をさしのべ未発表録音をリリースし、彼の再評価のきっかけも作っている。

Nuggets>が撒いた種に、水をやり育てたのは、まちがいなくPebblesだ。そもそもグレッグが<Nuggets>をサイアーで再発しなければ、おそらく伝説のカルト・アルバムに終わっていただろう。

そして今では、数え切れないほどの’60sガレージ・パンク・コンピレーションがリリースされている。最近では、自分のレーベルを売るための戦略からグレッグ・ショウのことを非難することも多い<バック・フロム・ザ・グレイブ>や<ティーン・エイジ・シャットダウン>をリリースしている、ティム・ワレンだって、かつては、このペブルスに影響を受けてガレージに目覚めたことを自ら認めていた。こうして認識されファンを増やしていったガレージ・パンクには、まだまだ知られざる名曲が残っている。そして今も新しいコンピレーションがいろんなレーベルからリリースされているのだ。

「ペブルスはもう古い」と聴かない人だっている。だが、やはりペブルスは基本だと思う、それに、手ごろな値段で、簡単に入手できるのもうれしいことだ。(その後に出たガレージ・コンピレーションには初回プレスだけだったり、数年で廃盤になっているものも多い)

ただし、LPに関しては、初回プレスで印刷したジャケットをそのまま使っているので、ライナーの情報には、まちがいやその後わかった新事実も多いので、鵜呑みにするのは、危険なことは、覚えておいたほうがいい。

さあ あとは自分の耳を信じて、60年代ティーンパンク王国への旅へ出よう!

Special Thanks to Mr. Greg Shaw
 
 

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